北里のルーツを辿る研修旅行に参加して

北里のルーツを辿る研修旅行

平成24年11月14日(水)~11月16日(金)の2泊3日で、学校法人北里研究所関連の10施設および北里柴三郎記念会の研修旅行に参加しました。初対面の方も多く、羽田空港で配布された総勢41名の名簿と名札で顔と名前を一致させながら一路熊本へ。熊本空港から、まずは熊本城に向かいました。

2日目は、北里柴三郎が歩いた道のり(ほんの一部ですが)の散策で、阿蘇の大観峰を下った辺りから小国に向かう約1時間の距離でしたが、散策とは名ばかりで、実際は競歩でした。地元の方がこの日のために草刈りをして下さったと伺い、苦手な山登りも楽しむことに、と思ったのもつかの間、しだいに獣道となり放牧された牛を避けながらの競歩は修行のようでした。1時間後、学びやの里「木魂館」で柴三郎の孫、北里一郎氏よりご講演をいただきました。よく似ておられ、そこに柴三郞先生がいるようでありました。

柴三郞は、1853年に長男として誕生しました。幼い頃は機知に富み、悟りが早く、負けず嫌いであったため親戚に預けられ、躾や学問を厳しく学び、大伯父の私塾では、学習と共に「根気よく一つのことをやり遂げる大切さ」を教えるため縁側の拭き掃除をさせたそうです。8歳から2年間、1日も休むことなく丁寧に拭き続け、家の縁側は光り始めたそうです。柴三郎の研究は、膨大な実験を厭うことなく繰り返し行うことで証明したものが多く、これはこの躾によるものだといわれているそうで、「不撓不屈」につながるエピソードと感じました。1871年に熊本医学校、その後東京医学校に進み、1886年からは留学生として結核菌の発見者であるローベルト・コッホ(ドイツ-ベルリン)の教えを得ました。以後、次々と研究実績を残し、その中でも破傷風菌の純粋培養法の確立(1889)と血清療法の発見(1890)は世界の医学会にその名を轟かせました。帰国後の1892年、伝染病研究所を設立する際、地域住民の反対がありましたが、福沢諭吉より援助を受け、伝染病研究所が設立されました。そこから「報恩の心」の精神で、福沢諭吉の慶應義塾大学に医学部を設立する際は無償で協力し、福沢諭吉からは「独立自尊」の考えを学んだと伝えられています。柴三郎の精神は北里「実学」の真髄である「学問・研究の成果は国民の福利増進のためにある」を成就するための心の羅針盤、それが北里精神である、と言われています。まさに柴三郎の生き様、精神が北里大学の4つの建学の精神、開拓、報恩、叡智と実践、不撓不屈に反映しているのと理解できました。1931年死去するまで日本の公衆衛生、医学教育、医療行政の発展に貢献されたことは言うまでもありません。

3日目は、大分に移動し、柴三郎母方の実家跡を見学し、福沢諭吉旧居内福沢諭吉記念館を訪問しました。

3日間の研修旅行を終え、柴三郎の生き方を、生を受けた場所から辿り功績に触れ、大変心に染みる時間でした。関わり合う歴史上の人々、支えられた恩師たちによって柴三郎の精神が北里に流れていることを実感し、北里大学病院で働けていることが誇りに思えました。旅行を通じ知り合った北里法人の方は同志です。今後も助け協力し合い、ALL北里で患者のために、よりよい医療を提供したいと感じました。

(北里大学病院 看護部教育 五藤陽子)

「北里の学統、実学の系譜」詳しくは、学校法人 北里研究所 パンフレットをご覧ください。

2013.03.29

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