定年退職者のことば

定年退職者

3月15日に病院の定年退職式に引き続き、看護部の退職式が行われました。

平成25年3月に定年退職を迎えた看護部職員は、保健師1名、看護師4名、看護補佐6名の計11名でした。

看護部長は、定年まで働いてくださった皆様に敬意を表し、感謝の言葉を贈りました。また、退職者一人ひとりから、ご挨拶がありました。

定年退職を迎えた6名の方々から寄せられたメッセージをご紹介いたします。

仲間に支えられて

看護師 天川 久子

北里への進学を目指して昭和48年就職。家族と共に過ごした年月より、北里での生活が長かったと感慨を抱きます。40年余り続いたのも家族の協力・一緒に仕事に励んできた良き仲間の支えがあったからです。先輩の指導を受け、同僚と遊び、後輩に背中を見せながら、私の宝物はいっぱいになりました。看護の仕事が楽しかったと言える幸せを感じています。北里の先輩たちが育んできた風土に支えられてきたことに感謝し、次のステップでまた頑張ります。

感謝の気持ちをこめて

看護師 池田 恵子

昭和49年4月入職です。当時は、第一次ミニスカート流行の影響で白衣がミニスカートでした(今考えれば恥ずかしい!)。配属は手術室。学生実習の時、手術見学で倒れた経験があったので、不安な気持ちでのスタートでした。案の定、6月に手術の器械出しの時、気分が悪くなり倒れてしまいました。それから、あっという間に定年を迎える事になりました。多くの人との出会いと別れを経験し、皆様のご配慮や支援で仕事を続ける事ができ、楽しい時間を過ごしました。本当に心から感謝の気持ちで一杯です。

感謝の気持ち

保健師 篠原 美也子

昭和53年4月に入職して以来、いろいろな方に支えられて勤めができたと思い感謝の気持ちでいっぱいです。病棟(8A、8B)、外来(内科I、整形外科)、血液浄化センターと異動しました。この28年間の経験が、最後に異動した健康管理センターの保健師業務で役に立ったことは言うまでもありません。学生と教職員の健康管理を担当し、心温まる思い出深い出来事が沢山あり、それらすべてが私の宝です。中でも、卒業した学生が就職し、すばらしく成長していく姿を見ると、感動を覚えました。35年間ここで学び、経験したことを胸にきざみ今後に生かしたいと思います。本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます。

30年間を振り返って

看護師 菅原 朝子

東洋一と言われていた北里大学病院。白く雄大にそびえ立つ建物、私にとって遠い存在でもあり、憧れの場所でもありました。そこに入職したのが昭和58年2月。右も左もわからず不安だらけで、全ての人が優れているように見え、自分の選択が間違ったのでは…と何度も考えさせられたように思います。入職時には、外科への配属を希望しましたが、空きがなかったため内視鏡からのスタートでしたが、程なく外科に移ることが出来ました。それからの30年間を北里大学病院で、その大部分を大好きな外科で過ごせて、幸せだったと思います。何もわからない私をご指導して頂いた上司や同僚に心の底から感謝し、今後は少しでも恩返しができるように、大切に過ごしていきたいと思っています。

成長の源

看護補佐 山内 弘子

長い様で短い18年間でした。ICUで9年、救命救急センターで6年、心臓血管センターで3年、お世話になりました。一般の生活ではとても経験の出来ない事を、いろいろ学ばせて頂き感謝しております。北里大学病院には、一人では出来ないチームの力強さがあり、暖かく声をかけてくれるスタッフがいます。その方達に支えられ、自分自身の健康にも恵まれ、無事に定年を迎えることができ、本当に嬉しく思います。有難うございました。

退職にむけて思うこと

看護補佐 潮田 恵美子

早いもので平成7年1月にこの北里大学病院に入職してあっと言う間に18年が経ってしまいました。医療のことを何も知らない普通の主婦が看護補佐になり定年退職を迎えることに驚いています。仕事に慣れるまでは毎日がとても不安で、先輩の姿を探しては後について回り、一つ一つ仕事を教えてもらい覚えていきました。そんな先輩から言われた言葉があります。「仕事も大事、でも職場は人間関係がもっと大事。仕事はチームワークだよ。」その通りでした。幸い私は仲間に恵まれ働きやすい環境の中で仕事をさせてもらい、また、家族の協力もあり長い間働くことが出来ました。この日を迎えられることに感謝しています。ありがとうございました。

2013.03.29

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